今日は両部神道の惟神について書こうとおもうで~ これはあくまでも両部神道での惟神やさかい、他の神道諸派の考え方とは似たところもあれば、違うところもあるで。 今から書く思想をもって神道全体の惟神に対する解釈やと言うわけやあらへんさかいなぁ。 他派の考え方はその道のプロに尋ねてやぁ。
2019-02-16 19:48:57両部神道の惟神とは? 惟神の意味や解釈は時代や流派によって色々やけど、現在主流の解釈は『神道大辞典』の「カンナガラ」で説明されとるのんが一般的とちゃうかな。
2019-02-16 19:49:26『神道大辞典』には 神そのままにての意(契冲説)、神におわするままにの意(加茂眞淵説)、ナガラはソレナリの意なり(鹿持雅澄説)との説があり、惟神道または随神道と釈し、「神意のままに行うて人の私を加へぬ事を云う」と解せられている と書いてあるで。
2019-02-16 19:50:48ごく簡単に言い換えたら 「神の意(みこころ)に従うこと」とか、「神意のままに生きる」「神の摂理に従って生きる」ってことかな。 この辺の解釈は派によって変わって来るかもやね。
2019-02-16 19:51:29惟神の『神』っていうのは、もちろん神明の事やけど… 特定の「○○大神」をさしとるというよりも、「大いなる自然=神」って解釈したほうがわかりやすいかな。 それを踏まえると「自然の摂理に従い、人の私を加えずに生きる」事が惟神と言えるかな。
2019-02-16 19:52:29で、両部神道は言うまでもなく密教を土台にした神道やから、これを密教的に解釈するんよ。 「大いなる自然=大日如来」 「神の意」は「仏心」 「神の摂理」は「法」 って事になるかな。 「人の私」は「三業からくる妄」やね。
2019-02-16 19:53:42さっきの文章にはてはめると 「大日如来の法に従い、この身このままに仏となる」 ってことやね。 両部神道でいう「惟神」は「即身成仏」に他ならないんよ。 せやから「惟神の道」は「三密行」やし、「神道加持」なんよ。
2019-02-16 19:54:30普通密教では「神(天)」と呼ばれる存在に対しては「入我我入」はせえへんのんやけど… 両部神道には「神明(日本の神様)」と入我我入する作法や口訣があって、神道によって「即身成仏」へと至る道が示されとるんよ。
2019-02-16 19:55:21さらに両部神道では神道阿闍梨や神官だけでなく、一般の人でも普段の神拝で、 自分の「心神」は本来清淨で御祭神の「神心」と何ら変わることのない尊いものであると観じて、真摯な気持ちで柏手を打って、祝詞を奏上し、法楽を捧げれば神道加持によって必ず大安楽を得られるとするんよ。
2019-02-16 19:57:22一般に出版されとる本なんかで両部神道を知った人からすると、蛇(龍)体や多頭の異形の神、異形の神宝を秘密の儀式で祭祀するかなりオカルティックな神道やと思うかも知れへんし、そういう本にはそれが神明の正体で、両部神道の奥義かのように書かれとる事もあるけども…
2019-02-16 20:02:12それらは即身成仏に至るための観想での方便であって、それじたいが両部神道の奥義という訳でも、神明の正体という訳でもないんやで。 あと仏教の優位を示すために神明を畜生の体に貶めたという説をとなえる人も時々おるけど、それも全くの間違いやで。
2019-02-16 20:02:44思想的な部分をちゃんと理解せずに一面だけを観ると混沌とした意味不明でおどろおどろしいものに見えるとけど、それはあくまでも側面的な一部分でしかないんよ。 これは真言、天台、チベットの密教も同じことやね。
2019-02-16 20:03:02せやから本来は誤解を防ぐために秘密にされとったところやねんけども、どちらかというと最近手に入る書籍はそういう部分を意図的にクローズアップしとるように思うわぁ… 読者にはそのほうが面白くみえるやろうしなぁ…
2019-02-16 20:03:24