キリスト教はその始まりから、「奴隷」という身分に対して、両義的な立場をとってきた。
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地面に身を投げ出している。現代の私たちなら難民の母子のイメージを連想する。ハガルとイシュマエルは、まさしく難民の遠い先祖でもあるだろう。  18・19世紀はまた、この母子のテーマが音楽や演劇に登場するようになる時代でもある。  ナポレオンの怒りを買ってパリから追放されたという経験をもつ

2020-12-20 04:50:08
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ロマン主義の先駆者で小説家のド・スタール夫人は、砂漠のハガルに自分を重ねていたのだろうか。フェミニズムの元祖とも目される彼女は、声を奪われ抑圧され排除されてきたハガルに、語る権利を取り戻してやっているように思われる。

2020-12-20 04:54:27
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(P.116) ロマン主義とオリエンタリズムの結びつきは、その後のハガルとイシュマエルにおいていっそう際立ってくる。西洋の19世紀において、旧約聖書にまつわる人物や物語の表象全般にわたって「アラブ化」とでも呼びうる現象が起こっている。

2020-12-20 05:00:24
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📌旧約聖書のエピソードを「アラブ化」することで、ュダヤ教をいっそう他者化し、西洋の外へと追いやるメカニズムが働いていたと考えられる。この現象は、西洋帝国主義、オリエンタリズム、聖書考古学の発展、13世紀から西洋にとって脅威となってきたオスマン帝国の弱体化(1923年に滅亡)などと、

2020-12-20 05:03:18
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ほぼ軌を一にしている。しかもこれと呼応するかのようにして📌イエス・キリストの「アーリア化」がいっそう顕著になる。つまり、キリスト教のルーツがユダヤ教にあることを軽視したり隠蔽したりするような言説が幅を利かせるようになる。

2020-12-20 05:15:23
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📌「置換神学Supersessionism」の名で呼ばれるこの種の傾向は、すでに古くからあったものたが、反ユダヤ主義とともに19世紀に改めて表面化する。 (P.120) 近代のカミーユ・コローが描く追放の母子にもジプシーのイメージが重なっているが、もはやそこに否定的なニュアンスはない。

2020-12-20 05:15:48
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ジプシーはここで、排除や差別の対象というよりも、「ボヘミアン」(フランス語の「ボエーム」にはジプシーの意味もある)の象徴である。19世紀はまた、社会の慣習や規範にとらわれず、たとえ放浪と貧困の中にあろうとも自由に生きることを選ぶ「ボヘミアン」が、ジプシーのイメージとも交差しながら、

2020-12-20 05:21:28
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とりわけ芸術家たちのモデルとなった時代でもある。差別の対象でもある社会のはみ出し者は、それゆえ、ヒーローらもヒロインにもなりうるのである。 (P.121) ジャン=フランソワ・ミレーの作品(図Ⅱ-41)では、しばしばエロティックなまなざしの対象となってきたハガルの表現を、あえて拒絶している。

2020-12-20 05:30:17
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「農民画家」の異名をとるミレーは、荒野に追放されたハガル母子に悲惨な農民の姿を写し取ろうとした。同時代のオリエンタリズムからははっきりと距離をとっている。  都市の貧困や格差への鋭い眼差しは、フェルナン・ペレーズの《ホームレス》(図Ⅱ-42)にみられる。 pic.twitter.com/slKj9qHIxl

2020-12-20 05:36:45
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彼らはいわば都市の中に置き去りにされたハガルとイシュマエルたちである。 (P.125) 「東方三博(マギ)の礼拝」の三人は一体どこの出身なのかについて、それぞれヨーロッパとアジアとアフリカに振り分けるというのが一般的になっていくという経緯がある。

2020-12-20 05:43:59
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シバの女王は「花嫁」にして教会のタイポロジーでもあった。 (P.128) 紀元前3世紀頃の七十人訳聖書では、「花嫁」は「わたしは黒くて美しい(メライナ・エイミ・カイ・カレー)」と歌う。「黒い」と「美しい」は順接でつながっていたのだ。シバの女王に関して、本来は、「黒い」と「美しい」とが

2020-12-20 06:12:18
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順接によって結びついていたのに対して、初期キリスト教の時代になって(3世紀のオリゲネスの『雅歌注解』、5世紀のヒエロニムスによるラテン語訳、ウルガダ聖書、1611年の欽定訳聖書)、両者は逆説でつながるものに書き換えられ、(「黒いけれども愛らしい」)さらに近世において美的というよりも性的な

2020-12-20 06:19:13
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ニュアンスが表面化されてきた。シャルトル大聖堂の北扉口を飾る彫刻では、同じエチオピア人ながら、シバの女王は白い肌の西洋人、足下に踏みつけられている従者は黒い肌の現地人の姿をしている。 (P.133) 中世からルネサンスにかけて頻繁に描かれたエチオピアの女王にして賢女は、たいてい白い肌の

2020-12-20 06:29:56
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西洋人として登場する。明らかに黒か褐色の肌とわかっていても、むしろあえて真っ白い肌で描かれてきたのは、シバの女王ばかりではない。アンドロメダ、クレオパトラしかりである。そこには明らかに、潜在的なレイシズムとセクシズムの影が認められる。

2020-12-20 06:34:56
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(P.138) シバの女王にせよ、アンドロメダにせよ、クレオパトラにせよ📌西洋絵画のなかで飽くことなく脱色され漂白されてきたのは、いずれも女性のキャラクターだ。このことは、レイシスムがセクシズムとも結託してきたことの証左となる。黒い肌の女性は二重のくびきを負わされてきたのである。

2020-12-20 06:40:09
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(P.141) 「東方三博士の礼拝」の三人のマギは、当然ながら異邦人にして異教徒と考えられるから、キリスト教の普遍主義的な性格を象徴するものとして、早くから美術のテーマとしても好まれ、すでに三世紀にローマのカタコンベ(地下墓室)の壁画にも登場している。

2020-12-20 06:44:46
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(P.143) ラヴェンナのモザイク画では、三人のマギたちは、一様に特徴的なかぶり物をつけていて、これは古代において東方(ペルシア)の人々、さらには解放奴隷と結びついていたフリギア帽(フリジア帽)と呼ばれるものである。聖母子に拝跪する東方のマギたちに、「解放奴隷」のしるしである帽子を

2020-12-20 06:50:28
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かぶらせたとするなら、そこには、支配 / 被支配の構図も見えてくる。 (p.145) 14世紀に入ると、貢物を運んできたマギの従者たちの中に、黒い肌の人物がかなり頻繁に見分けられるようになる。マギよりも早くに、その従者にまず黒人が割り当てられているのである。

2020-12-20 06:55:24
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(p.147) 黒人のマギは、ハンス・メムリンクの作品で、右端の若いマギだけが黒人の姿に描き換えられている。これ以後、黒人のマギはとりわけ北方の絵画においてむしろオーソドックスなものとなっていく。  若いマギとアフリカ、中年のマギとアジア、初老のマギとヨーロッパという対応関係は、

2020-12-20 07:01:52
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聖母子との三人の距離の違いによっても含意されている。 (p.153) 大航海時代が幕を開けると、未知の土地の先住民が若いマギの役回りをさせられることになる。 (p.156) ヒエロニムス・ボスの《マギの礼拝》では、小屋の中で教皇の三重冠を逆さまに持ち、礼拝の様子をうかがう半裸の男が見えるが、

2020-12-20 07:08:54
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これは、アンチキリスト(反キリスト)であるとされる。先行研究では、この黒人のマギは、アンチキリストの手先と解釈されることがある。バイエルン地方の手写本では、アンチキリストの背中に黒い悪魔が取り憑いている。 (p.161) キリスト教が世界宗教でもあることを含意してきた「マギの礼拝」という

2020-12-20 07:15:45
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主題は、レイシズムや植民地主義とも無関係ではありえなかった。 (p.168) エチオピア人をモデルに黒人のキリスト教への改宗の物語がつくられてきたのと呼応して、黒い肌の聖人もまた生みだされてきた。エジプトのテーべに生まれたとされる三世紀の伝説の聖人、聖マウリティウスがその人である。

2020-12-20 07:20:33
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(p.172) エキゾチシズムが強調されカリカチュア化される傾向のあった黒人のマギとは異なって、聖マウリティウスはあくまで黒い肌の騎士聖人として、その威容を保っている。しかし対照的なのがイタリアやスペインの作例で、このテーべの聖人は、それにもかかわらず白い肌の西洋人として描かれている。

2020-12-20 07:26:21
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あたかも、本来は黒い肌であった人をことさら白い肌に描くことで、黒い肌に聖性を与えることを拒むかのように。 (p.175) 17世紀、アフリカや南米への布教は、ローマ教会の「プロパガンダ・フィーデ(福音宣教省)」が取り仕切っていたが、黒人の聖人ベネデットの存在は、それを正当化し推進するのに

2020-12-20 07:31:42
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有効だったと想像される。さらにここに、伝説のエチオピアの聖女イフィゲニア(18世紀以降プラジルで信仰を集める)らの名前を付けくわえることができる。  今日では聖ベネデットはむしろアンチ・レイシズムのシンポルと見なされている。

2020-12-20 07:35:14
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(p.177) 中世以来のヨーロッパにおける暗黙の(もしくは無意識の)レイシズムを例証する図像に、殉教の聖人たちを描いた場面がある。フランスのルーアン大聖堂の扉口は、ヨハネの首をはねる処刑者に、おそらくはじめてあからさまに黒人のイメージが重ねられている例である。

2020-12-20 07:40:47
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もちろん、この洗礼者が黒人に首を斬られたなどとはいっさい聖書に書かれてはいないから、明らかな歪曲である。印象派のモネが連作に描いたことでも名高いゴシックの大聖堂のファザードで、いわば公然とこうした捏造が行われていたのである。

2020-12-20 07:43:37
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(p.177) 同じ頃、ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂のモザイク画《聖マルコの殉教》でも、使徒にして福音書記者は、ターバンを巻いた二人の男と黒い肌の男に拷問を受けている。同様の例を挙げるときりがなく、黒い肌の人物たちが様々な宗教画の中に出現してくる13世紀の後半から著しく増えてくる。

2020-12-20 07:49:39
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このような「他者」への罪のなすりつけは、その後も消えることはない。 (p.180) 反対に、黒い肌の殉教者が白い肌の男たちによって処刑される場合はどうだろうか。テーベの聖マウリティウスとその部下たちはローマ軍によって首をはねられたとされるから、このケースに相当する。

2020-12-20 07:54:12
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だが、📌ルイーニやエル・グレコは、あくまでも西洋人の姿でこの聖人を描いている。 (p.181) 片脚を癌にむしばまれたローマの男にエチオピア人の脚を移植して治癒させた、という双子の聖人コスマスとダミアヌスによる奇蹟を表した作品は、目を疑いたくなる。 pic.twitter.com/bFUL0OJLmY

2020-12-20 08:07:44
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エチオピアの男は生きたまま左下肢を切断された一方で、ローマの患者の方は睡眠剤を使わされ穏やかな表情をしている。もともと『黄金伝説』では、手術の当日に死んだばかりのエチオピア人の遺体から片脚を調達したことになっているが、図Ⅲ-59では、癌を病んだほうの白い足が遺体に加えられている。 pic.twitter.com/iLD3DP2mrF

2020-12-20 08:14:34
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このテーマは、スペインやオランダに渡り、大学における医学教育の発展とも結びついて、16世紀によく描かれた。ビロルドの彩色浮彫は、バリャドリードの修道院に飾られていたのであるから、当時の修道士たちは、どのような目で眺めていたのか、その感性を疑いたくなる。今日の臓器移植も連想されよう。

2020-12-20 08:20:11