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2022年1月5日
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銅大 @bakagane

佐藤洋一郎さんの『米の日本史』をパラパラと読んでおります。やっ、これは面白い本です。日本にいつ米が入ってきたかを、考古学的に(文字はまだない)知ろうとすると、現代に近い水田であればいいですが、陸稲の焼き畑型だと現代では、火山の噴火などで焼けた跡地と区別がつかない。

2022-01-03 00:24:02
銅大 @bakagane

屯田説の推測も。村が水田で食べていくには、100kg/人/年の米の収穫が必要で、鎌倉時代の1.5トン/haだと、百人の村で6.7haの開墾が必要で、これには12000人日/haかかるので、1600日。5年かかりの開墾になります。米作技術を持った移民というより、大陸から拉致してきたか、侵攻して屯田したか。

2022-01-03 00:31:04
銅大 @bakagane

『米の日本史』(佐藤洋一郎)。弥生時代までの米食が、玄米食ではないのでは、というのは面白い指摘です。玄米食は、籾を分離する籾摺器ができてからで、それ以前だと臼に籾がついたまま入れて、杵で搗(つ)いて籾取りと疑似的な精米を一緒にし、できた搗米を食べていたのではと。

2022-01-03 22:55:53
銅大 @bakagane

現代でも、東南アジアのラオスなどの一部地域では、米の籾を臼で籾取&疑似精米して食べているそうです。糠が残ってたり、籾と一緒にはげたりしているので、そいつはアヒルや豚や鶏ら家畜のエサになります。家畜も心得たもので、米搗き場の周囲には、集まってピーピーガーガーとやかましいそうです。

2022-01-03 22:59:59
銅大 @bakagane

寒冷化と2世紀後半の『倭国大乱』の因果関係についても、興味深い指摘が。寒冷化が稲作に打撃を与えたのは間違いないが、風が吹けば桶屋が儲かる的な連鎖につながるかというと疑問だと。兵乱には兵のための食料が必要で、その余剰食料なくなるのが飢饉です。むしろ戦争なんかやってる場合じゃない。

2022-01-04 02:31:14
銅大 @bakagane

弥生時代末期のクニは都市レベルの小さなものが乱立していたわけですが、これが大幅に数を減らしたというのが事実なら、ほとんどは自滅だったのではありますまいか。その生き残りが、先祖の威信財をもって、より大きなクニに「どうかお救いください。これあげます」で統廃合されたのかも。

2022-01-04 02:33:47
銅大 @bakagane

イナゴと飢饉の関係も指摘されています。寒冷化に限らず、日本では台風もきますし、大雨や洪水もたびたびあったでしょう。日本での稲作は、カロリーの安定供給を実現して周辺狩猟採集生活者の「自滅」を待っての領域拡大を実現しましたが、できたクニもまた、災害などで壊滅する危険と隣合わせです。

2022-01-04 02:38:08
銅大 @bakagane

日本で不作による自滅を避けるためには、災害対策を強める必要があります。日本中でポコポコ作られた大規模古墳群も、現地に土木技術を習熟した人材を増やし、水田と灌漑施設を効率よく作るためであったのかも。それでも最終的には神に祈るしかないのも事実で、朝廷は太陽神アマテラスを祀ったのです。

2022-01-04 02:47:46
銅大 @bakagane

『米の日本史』(佐藤洋一郎)。大唐米の評価も面白いです。インディカの大唐米は、干ばつに強いので江戸時代まで西日本を中心にかなり広まっていたとか。熟してない穂を刈って籾つけたまま茹でてから籾摺して保存する、パーボイル法で調理したようです。粥にして食べる。稗とかに近い感じかしら。

2022-01-04 10:44:02
銅大 @bakagane

検索すると『江戸時代のパーボイル加工米』の論文が。江戸時代の本で大唐米は『バラバラとした粘り気のないもので、専らそれだけを食べるものではない。炊くと釜殖えするとはいえ、その2杯は普通米の1杯にも当たらない。肉体労働者は尽く腹が減るため蒸米を嫌う』とあり、これも現代で消えた理由か。

2022-01-04 10:52:55
銅大 @bakagane

薩摩藩の農書『成形図説』の『専らそれだけを食べるものではない』は、江戸時代までの日本人の食生活の根幹やもしれません。街道や舟運が未発達であった時代、人は周囲にあるものだけを食べて生きてきました。災害などに備えて米の種類も多く、水田や灌漑施設では漁労もした。

2022-01-04 11:05:18
銅大 @bakagane

面白かったのが、米は粒食ですが、お菓子だと米粉にするのは、精米する時にできる割れた米を無駄にしないため、とっといて端境期(晩春~夏)に米粉にして食べたのが始まりでは、という説。他にも、不作の時の当熟不良米を米粉にすることもあるそうです。

2022-01-04 14:10:53
銅大 @bakagane

『米の日本史』(佐藤洋一郎)。稲作が作った水運の項。大坂の大和川の付け替え工事の後、淀川へつながっていた旧河道は水路兼交通路として使用。この交通路で排泄物を運搬して肥料にしたことで綿花栽培が盛んになり、できた綿花の集積も進んで河内木綿の産地へと。

2022-01-04 22:49:19
銅大 @bakagane

稲作は、田植え・稲刈りなど毎年のように行う集団作業を通して同胞意識をブーストし、精神的紐帯を深めることができます。この紐帯は「困った時にはお互い様」で災害に強いこともあり、他の文化に比べて日本の国土にあっていたのかもしれません。「お互い様」で助け合う範囲が狭い文化はやがて滅びる。

2022-01-04 22:56:06
銅大 @bakagane

江戸時代日本の文化度の高さは『米の日本史』内でも指摘されていますが、それが実現できたのは、稲作文化の持つ「困った時にはお互い様」が共同体内での文化の蓄積を世代をこえて実現したからともいえます。そのかわり、構成員は個人の不満を押し殺し、共同体に人生を捧げねばならぬのですが。

2022-01-04 23:05:05
銅大 @bakagane

明治になって幕藩体制が崩壊すると、年貢のため品質管理を厳しくしていた米の品質が低下します。屑米だろうが市場に流れる。明治になって江戸(東京)の庶民が「徳川様の時代の方がよかった」と思った理由の半分くらい、飯がまずくなったせいではないかしら。

2022-01-05 00:53:22
銅大 @bakagane

5章で指摘されていますが、肥料による増産の、持続可能性の問題も江戸から明治にかけて出てきます。『江戸日本の転換点』(武井弘一)では、江戸時代の水田の拡大と人口増が、環境面でも社会・政治面でも、持続可能性を逸脱していた指摘があります。 自然に優しいと、だいたい人間に厳しい。

2022-01-05 01:04:13
銅大 @bakagane

米の乾燥、備後にある父方の祖父の田んぼの稲刈りを手伝った時に穂を稲架にぶら下げた遠い記憶(40年以上前)があるのですが、北陸の方だとすぐに時雨の季節なので、十分に乾せないまま、脱穀となります。が、人はここで諦めない。保管倉庫の土間に塩を敷き詰め、屋根を高くし温かい空気を上にためる。

2022-01-05 01:19:16
銅大 @bakagane

さらにはケヤキ並木を倉庫の西側にうえて蒸散させ、空調技術が発達する前から、できるだけ米を乾燥・低温で保管しようとしています。(山形県酒田市山居倉庫) これぞ、手持ちの材料の組み合わせで最善手を探る人の知恵です。

2022-01-05 01:22:35
銅大 @bakagane

佐藤洋一郎さん『米の日本史』を読了しました。楽しい読書体験でした。米食文化の東西の違い。江戸では朝に米を炊き、京では昼に米を炊く、というのは面白い違いです。京では朝はもちろん前日のお冷やをいただきますので、そのままだと不味い。だからぶぶ漬けにして出す。はよかえれや文化。

2022-01-05 12:49:01
銅大 @bakagane

籾摺が普及したのが江戸時代とすると、室町時代までは、収穫した米は籾のまま保存し、臼で搗いて籾取と精米を同時にしてから食べていたことになります。糠がついてるのもあれば取れてるのもあるし、割れた米も交じる。籾摺した玄米から糠をとっての白米への流れは、江戸時代以後。脚気もそれから。

2022-01-05 12:57:23
銅大 @bakagane

時代小説『明智家の勝手方 23:久秀の謀反』で、足軽たちが、玄米を臼で搗く描写を入れてたので、籾のついたままの米に変更。 ncode.syosetu.com/n4666gx/23/ #narou #narouN4666GX

2022-01-05 13:10:23
銅大 @bakagane

室町時代に食べた米が主に搗米だったなら、擬音で表現すると食事風景は「もぐもぐ」ではなく「ごりぼり」に近かったかもしれません。 硬いし粘りもないし、これはたいへん。 『古代中国の24時間』(柿沼陽平)ならぬ『中世日本の24時間』が欲しいところです。

2022-01-05 15:33:19
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まとめたひと
銅大 @bakagane

のんびりこんびり、三割なほら吹きおじさんです。

コメント

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