
私が産後うつになったのは、出産後数日から。産んだ時には凄く幸せだったのに、数日間でみるみるメンタルが落ちていった。 群馬で産んで、産後里帰りで神奈川の実家に帰った。 出産したのは大学病院で精神科もあったから、薬をしっかり貰い、ミルク育児にして対応した…つもりだった。 #産後うつ
2017-10-30 00:28:20
でも甘かった。 落ちていったメンタルは絶望感に変わり、判断力も低下し、何も考えられなかった。 ただただ赤ん坊と過ごしている時間が恐ろしく、寝ている時でさえ凄まじく緊張しながらいつ起きて泣くのかと寝顔を見つめていた。 娘に泣かれると、怖くてパニックに陥った。 #産後うつ
2017-10-30 00:32:07
里帰りして数日、寝不足が酷く、何を食べても味もせず、ひたすら恐怖感が募った。 ある日軽くウトウトした時に、まぶたに私が娘の横で包丁を手に自殺するビジョンが走った。 娘を殺す想像もしてしまった。 もう娘が可愛いなんで感じず、麻痺した頭に死ぬことしか無かった。 #産後うつ
2017-10-30 00:38:22
自分は元々長く双極性障害を患っており、精神病院には抵抗が無かった。 これはヤバい、限界だと思って、母に娘を見て貰い、妹に付き添われてタクシーで病院に行った。 待合室で涙が止まらなかった。 病院では緊急性の高い産後うつとして、すぐに地域の保健師さんに連絡を取ってくれた。 #産後うつ
2017-10-30 00:42:56
ここからは怒涛の展開だった。 受信から数時間語には保健師さんが実家に来て私の状況を聞いて、乳児院に娘を預けての入院を進められた。 児童相談所に電話し、職員がすぐに来てくれた。 乳児院への入所は翌日朝と決まった。 1日で全ての手はずが整った。 #産後うつ
2017-10-30 00:46:50
その夜、父が娘をソッと覗き込んで、別れを惜しんでいた。 夜泣きする娘を、母が夜中に何度もミルクをあげながらあやしていた。 申し訳ない、申し訳ない、と思いつつ、麻痺してどこか他人事のようにも感じ、娘の泣き声の聞こえない部屋で扉を固く閉めて寝た。 #産後うつ
2017-10-30 07:45:38
当日は快晴だった。 両親はこれ以上仕事を休めないと、寝不足のまま出勤していった。 私は妹に付き添ってもらい、意外としずかに娘の世話をしていた。 朝の8時きっかりに、児童相談所の人が2人来た。 外に車を停めてあるから、そこまで娘を連れていった。 #産後うつ
2017-10-30 07:51:34
娘はぐっすり寝ていた。 軽くお別れをし、娘を児童相談所の人に手渡し、車が去って行くのを目で追った。その時私が一番に思ったのは、悲しいでもなく、寂しいでもなく、 「これでやっと眠れる」 だった。 パジャマのまま、フラフラと妹に付き添われて実家に帰った。 泥のように寝た。 #産後うつ
2017-10-30 07:57:57
精神病院に入院するまで一週間ほど間があったけど、毎日食事とトイレ、たまに風呂以外は全て寝ていた。 5日程経った頃から、やっと少し起き上がれるようになった。 正直入院はしたくなかったけど、それで早く治るなら仕方ないとも思った。 鏡を見ると生気のないむくんだ酷い顔だった。 #産後うつ
2017-10-30 13:50:16
週末には旦那が駆けつけて来てくれた。 辛かったね、と言いながら抱きしめてくれた。 旦那は相変わらず大好きだけど、こんな愛情を娘には見いだせなかった。ただ離れられてホッとした。 相変わらず精神は麻痺気味で、身体の動きもゆっくりだった。娘の布団を片付けた場所で2人で寝た。 #産後うつ
2017-10-30 13:56:39
そして精神病院に入院した。 持ち物を厳しくチェックされ、スマホは預かり。首を吊りそうな紐類は全て持ち込み禁止だった。 病棟内は色々不思議な人たちが多かったけど、気にせずとりあえず薬を飲んで寝続けた。 たまに親が面会に来てくれた。 週末は実家に外泊も出来た。 #産後うつ
2017-10-30 18:28:25
入院して暫く経ち、薬もゆっくり効いてきたのか、希死念慮(死にたくなること)も段々おさまってきた。 ベッドの枕元に旦那と娘の写真を置いて、寝ながらぼんやり眺めていた。 キツそうな年かさの女性職員さんは「おっぱい大丈夫なの?」と心配してくれた。 静かに時が過ぎていった。 #産後うつ
2017-10-30 19:00:13
週末の外泊時に、乳児院にいる娘へ面会に行くようになった。 乳児院は明るい雰囲気の綺麗な施設で、若い保育士さんたちが活き活きと、新生児から2歳台までの子供達のお世話をしていた。 行くには同伴者付きで、前後に頓服薬を飲まないと不安で動悸がしてダメだった。 #産後うつ
2017-10-30 22:09:34
新生児の娘は、不安と怖さで抱くのも一苦労。触れるだけで気持ちが疲れてしまい、付いてきてくれた両親や夫が可愛がっているのを横目で見ているのが殆どだった。 1時間半程の乳児院での面会が終われば、ぐったり疲れて寝込んでしまった。 でも半ば義務のような気持ちで何度も通った。 #産後うつ
2017-10-30 22:21:11
入院後最初の難関は、娘と私の1ヶ月検診だった。 不安感が強く地元でやりたかったが、産んだ病院でしか無理だったので、神奈川から群馬まで、母と夫と娘と私で、車で日帰りをした。 娘は幸いあまり泣かなかったので、無事に病院に着き検査をしたが、私も娘も問題なく終わった。 #産後うつ
2017-10-30 22:38:15
その時、馴染みの看護師さんが駆けつけて来てくれた。私が出産後退院する時に励ましてくれた人だった。 辛かったねと抱きしめてくれた。私は疲れてあまり喋ることも笑うことも出来なかったが、内心とても嬉しかった。 この頃からやっと、段々と助けてくれる人に感謝出来るようになった。 #産後うつ
2017-10-30 22:42:53
精神病院には2ヶ月いた。 後半は大分良くなり、軽い人が集まる病棟に移り、昼間はスマホも出来るし、友達も出来た。 笑って話すことも出来るようになった。 娘に会うのも段々怖くなくなっていった。 娘が笑うと可愛いと思えるようになった。 退院はクリスマス直前だった。 #産後うつ
2017-11-02 23:30:40
退院後、初めて1人で面会に行ってみた。 自分では大分良くなったから、大丈夫な感じだった。 面会は念のため1時間だけ。娘はぐっすり眠っていて、一度も起きなかった。 帰り道、酷く無感情になった。 駅のホームで、少し電車に飛び込みたくなった。あ、まだ無理出来ないなと思った。 #産後うつ
2017-11-02 23:34:20
精神病院を退院後に、「娘通信」というグループメールを始めた。 娘を心配する親族に、面会の状況や成長した写真を送るためだった。またそこに、娘の成長記録の側面と、私の病状を記すことで、親族に産後うつの理解を求めるものでもあった。メールの内容は全て日記に残し、時々見返した。 #産後うつ
2017-11-02 23:38:55
娘の遅いお宮参り(in群馬)や、正月に北関東の旦那の親戚に合わせる為に、神奈川から娘を連れて出る大イベントを何度かやった。 もう必死だったし、体調もよく悪化したけど、普段離れている分、お祝い事はしっかりやってあげたかった。 娘の曽祖父母が娘を見て喜んでくれて良かった。 #産後うつ
2017-11-02 23:46:18
精神病院退院後は、基本的に私は住居である群馬に住み、二週間に一度、数日間神奈川の実家に帰って、そこから乳児院に通った。 片道3時間半、交通費も半端なかったけど、大変でも辛いとかはあまり思わなかった。 反面、群馬に帰れば気持ちの切り替えをしてゆっくり休む事ができた。 #産後うつ
2017-11-02 23:50:25
夏になるまで、ひたすら私は遠距離を行き来し、神奈川で娘に会い、群馬の自宅で休んだ。 不安に陥り体調を崩すことも多々あったが、娘の実家短期お泊まりなどもちょこちょこやり、段々娘に慣れて行った。 しかしこんなままごとのような生活、長くは続けられない事も気づいていた。 #産後うつ
2017-11-03 00:03:30
ちなみに夫はパタニティブルーはあったものの、娘が産まれてからはメロメロになり、良き父親だった。 仕事が忙しいので遠距離に居る娘に余り会えなくて寂しそうだった。 会えばミルクをやりオムツを替え、まめまめしく世話をしてくれた。 私を支えてくれ、一緒に笑い、一緒に泣いた。 #産後うつ
2017-11-02 23:54:04
ある日奇跡が起きた。実家のある神奈川のマンションの部屋が空いたのだ。実家とは隣同士という超好立地。児童相談所からは、神奈川に引っ越して来ないかと言われていた。群馬にいる限り、神奈川に居る娘への支援は限られる。しかし群馬で頼れる人は誰もいなかった。行政もイマイチだった。 #産後うつ
2017-11-03 00:08:20
旦那と家族と散々話し合い、神奈川への引っ越しを決めた。 旦那の職場は埼玉だった為、旦那は単身赴任で離れて暮らすことになった。 家族が本当にバラバラになってしまう。 でもいつか娘と親子3人で暮らす為と思い決断した。 ずっと支えてくれた旦那と離れるのが一番辛かった。 #産後うつ
2017-11-03 00:11:45
引越しは本当に大変だった。旦那が忙しく、荷造りや手配はほぼ私がやり、旦那の単身赴任先探しもあった。 引越し前夜、私達は娘と群馬で暮らす力が無かった事に泣いた。8年間住んだ、良い所だった。 実家があるとは言え、新天地で上手く出来るか自身も無かった。でもやるしか無かった。 #産後うつ
2017-11-03 00:17:01
引越しはみんな協力してくれて、スムーズに進んだ。しかし私は荷物を送り出した疲れで緊張感も切れ、新居の搬入後、荷解きの最中に倒れてしまった。一番の不安は、旦那が埼玉に去って独りになることだった。実家が隣とはいえ、夫がいない事は耐え難かった。夫も私も寂しくなってしまった。 #産後うつ
2017-11-03 00:22:32
新居での独り生活が始まった。 一人で目覚め、朝昼は一人でご飯を食べ、娘の面会に行き、夕飯は実家で食べた。 家はいつでも綺麗に保つよう、家事をして、娘の部屋を整えていた。 物凄い緊張感が続き、引越し前は過眠だったのに、不眠に陥った。 肩こりも酷く吐きそうになった。 #産後うつ
2017-11-03 00:30:48
引っ越し3週間後、娘の一歳の誕生会をやった。このためにめちゃくちゃ頑張って、飾り付けとか片付けとか、義両親を迎える支度をした。ピンクのドレスを着た娘は可愛くて、皆んなでご馳走やケーキを食べながらお祝いして、一升餅背負って泣いて笑って… そして私が力尽きて途中で倒れた。 #産後うつ
2017-11-08 21:13:43
離乳食を旦那にバトンタッチして、ゴメン休む、とだけ言って寝室に行って倒れ込んだ。 動けなかった。 何も考えられずに頭がチカチカした。 とにかくくたびれた。 気分悪いまま寝込んだのが15時過ぎ、気付いたら20時。 旦那が娘を寝かしつけようと寝室に入って来て気づいた。 #産後うつ
2017-11-08 21:18:05
気づいたら娘の誕生会は終わっていた。 その後また寝て、結局起きれたのは夜中だった。 義両親が居間に居る、その隣の台所で、旦那にしがみついて大声で泣いた。 辛かった、疲れた、動けなかった、祝ってやれなかったと。 義両親にも多分聞こえていたと思う。 旦那は優しく慰めてくれた。 #産後うつ
2017-11-08 21:21:57
その後、涙を拭いて、風呂に無理やり入ってから、義両親に詫びにいった。 義両親は本当に良い人で、旦那と4人で軽くお酒を飲みながら、無理しちゃダメだよ、皆んなを頼りなさい。 と言ってくれた。段々頭の混乱も解けてきて、少しリラックス出来た。 そして娘と旦那と三人でぐっすり眠った。 #産後うつ
2017-11-08 21:26:19
翌日は疲れはあったけど、頭がスッキリして、娘を凄く可愛く思えた。 義両親とファーストシューズを買いに行き、皆で楽しく過ごした。 義両親が帰り、家族三人でゆっくり夜を過ごした。 翌日は靴を履かせて遊びに行き、娘は芝生を歩き回り嬉しそうだった。 私もやっと笑顔が出た。 #産後うつ
2017-11-08 21:47:11
二泊三日のお誕生会お泊まりが終わり、娘も乳児院に帰り、日常が戻ってきた。 1ヶ月半以上緊張感や不眠、不安、酷い肩こりが続いたが、段々やわらいできた。 10月末には6時間以上寝られるようになり、週末に夫が帰って来る生活リズムも出来てきた。 娘にも週一で面会し、お泊まりもした。 #産後うつ
2017-11-08 21:52:09
11月初頭の、現在の私の容体記録。 ・娘に会うのに不安感はほぼ無くなった。 ・娘の写真を眺めてニヤニヤする。 ・一〜二泊ほど面倒を看ると大変疲れて、数日寝込む。 ・多分娘と全力で向き合ってしまい、力の抜き方が分からない。 ・やっと離乳食を手作りするようになった。 #産後うつ
2017-11-08 22:47:30
サポートしてくれる家族のこと。隣に住む私の両親はいい距離感を持ってくれてる。母は週4フルタイムなんだけど、まめに顔を見せて夕ご飯を作ってくれる。父はリタイアしてて歳だから体の衰えもあるけど、孫可愛い、俺も頑張るからと言ってくれる。妹夫婦もよく遊びにきたり協力してくれる。 #産後うつ
2017-11-08 23:36:38
夫の両親は北関東に住んでて働いてるし遠いから、なかなか会いには来れないけど、私と娘をいつも気にしてくれてる。 お義母さんは娘通信にいつも優しい感想と励ましのメールをくれる。 お義父さんしょっちゅう大量の娘の写真を繰り返し見ているそうだ。 嫁の私に優しくてとても嬉しい。 #産後うつ
2017-11-08 23:40:44
今私と娘が生きているのは、死にたくなった時に大声で 「助けて!」 と言えたからだと思う。 精神科に行ったのも、児童相談所に電話したのも自分の意思。 周りはそれを聞いて本当に良く助けてくれた。 辛いけど道は開けていった。 ただ常に周囲に感謝することを忘れてはいけないと思う。 #産後うつ
2017-11-09 01:21:38