第3章、日本の精神分析における女性
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抜粋③『精神分析にとって女とは何か』西見奈子編著、北村婦美・鈴木菜実子・松本卓也、福村出版,25.10.2020 第3章、日本の精神分析における女性 第1節  日本の精神分析では、フェミニズムとの関連で発展した理論は存在しない。p.121 pic.twitter.com/xmCEjkSPmG

2021-02-23 10:56:12
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p.129 純粋な精神分析(というものがあるのかも分からないが)を受け継ぐことは不可能であり、精神分析を語るその人自身の投影を含んだ精神分析を私たちは習得せざるを得ない。そう考えると、現在日本の精神分析もまた、古澤平作の投影を脈々と受け継いでいると言える。古澤やその弟子を直接知らない

2021-02-23 11:03:13
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私たちの世代もまた、日本のコミュニティに所属している限り、この影響から逃れることはできない。殊に古澤が述べたような、患者は「まことの母」を得られなかった人たちであり、それを与えるのが治療だという治療論は、日本の心理療法に深く刻まれているものの一つではないだろうか。

2021-02-23 11:06:23
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p.129 精神分析においては、母子関係を重視するものとして、大きく二つの流れがある。  一つは、ハルトマン、エリクソン、スピッツ、マーラーという流れにある実証的な立場からの乳幼児の母子関係への着目である。実際の母と子のコミュニケーションの観察から、母子の関係性が自我機能の発達に与える

2021-02-23 11:12:04
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影響をみたものである。  もう一つは、メラニー・クラインやウィニコットを代表とする対象関係論の流れである。  母子関係以外の、女性性そのものを問う精神分析理論はどうだったのであろうか。ヘレーネ・ドイッチェ、マリー・ボナパルト、ピーター・ブロスらが紹介された。

2021-02-23 11:18:31
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p.132 ボーヴォワールの『第二の性』を受け、ベティ・フリーダン、ジュリエット・ミッチェルらはかなり早い段階で紹介された。社会的背景としては、女子差別撤廃条約、雇用機会均等法の成立があった。『現代のエスプリ』「フェミニストセラピィ」(1990)特集号は、カレン・ホーナイを紹介し、

2021-02-23 11:24:48
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佐藤紀子は次のように述べた。 p.133 必要以上に女の性を劣等視する患者たちは、例外なく、その奥に「一人の人間としての自信と自尊を欠いた否定的自己像」を隠し持っており、また一見それとは正反対に、固定的な性的役割や性的魅力を唯一の武器として生きている女性や男性の、その心的内容も同じ

2021-02-23 11:29:36
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ようなものだった。すなわち、片方の性を蔑視する人もまた性を強調しすぎる人も、どちらも性において不自由な人たちだ。  一方、フェミニスト・セラピストの加藤は、精神分析を代表とする臨床心理学が提供する枠組みが、パーソナルにみえる問題も実はポリティカルであり、社会的な力関係の中に原因が

2021-02-23 11:35:57
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あると考えるフェミニズムの枠組みにそぐわないと述べた。  臨床の中で、個人の問題と社会の問題の双方を私たちはどのようにしてバランスを保ちながら考え続けることができるだろうか。 ( #100分de名著 ファノン第4回 ) twitter.com/chokusenhikaem…

2021-02-23 11:46:14
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彼らはそのことを学校で習った。街で。兵舎で(そこでは、足に靴があった)。戦場で。 (p.119) 人間を疎外的な状況から解放するためには、社会構造そのものを変革しなければならないとファノンは考えた。植民地支配がそうした状況を作り出しているのなら、そのような状態は解消されなければならないと

2021-02-10 00:25:49
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第5節、日本の精神分析臨床における女性……これからの議論のために p.172 女性治療者が男性患者から蔑視されたり、モラル・ハラスメントやセクシュアル・ハラスメントを受けたりという事態は、壇上では滅多に議論されないが、多くの女性治療者が経験することである。

2021-02-23 11:51:46
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事例検討会やスーパービジョンで問題にされたとしても、指導者層に圧倒的に男性の多い精神分析の領域においては、かえってもっと患者に共感するように促されるなど、女性治療者が体験している恐怖を理解されないことも多い。そこには、潜在的にシュビングのようなすべてを受け入れる母性的な態度が

2021-02-23 11:56:03
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治療的に働くという日本の臨床に深く根づいている信念も関係しているのかもしれない。 p.172  2015年、『精神分析研究』では、「治療者のセクシュアリティを考える…特に女性であることについて」の特集が組まれた。精神分析においてセクシュアリティは要であるにもかわらず、治療者側の

2021-02-23 12:03:01
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セクシュアリティが取り上げられることがほとんどなかったという問題意識に立つものであった。日本には女性治療者の妊娠というトピックが世界的にみても多い。しかし問題なのは、相当数の論考が発表されているにもかかわらず、それらの知見が精神分析の理論や技法に組み込まれず、日本の精神分析の

2021-02-23 12:07:45
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発展に寄与した形跡が見当たらないということだろう。 p.174 なぜこれほどにも女性治療者たちは自らを晒すのだろうか。自らを晒さないと女性性は語れないのだろうか。  齋藤久美子(1990)は、女性について論じる上では、他の何を論ずる場合にも増して、その論者の性別や、生まれた時代や場所を抜きに

2021-02-23 12:14:36
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論ずることは大きな誤りを生む危険があると言う。齋藤は、調教された結果としての「女らしさ」を自らの職業的努力において剥ぎ取り、仕事をしてきたが、時代が課する制約や限界は「第二の皮膚のように私の目の届かぬ背中に」張り付いていると述べた。#100分de名著 ファノン(3)twitter.com/chokusenhikaem…

2021-02-23 12:28:07
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(p.86) ファノンは白人のまなざしの対象であることを拒絶し、彼を「他有化」しようとする白人をまなざし返す。 (p.87) 自分がニグロであること、みずからの「ニグロ性」を引き受け、肯定する。それが「ネグリチュード(négritude)」という文化運動の根幹にある態度。

2021-02-09 21:10:31
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そうしたバイアスを語ることなしに女性について論じることはできないということである。  しかし、女性を語る時に自らを晒す男性はあまり見かけない。そして男性は男性についても語らない。『精神分析研究』で「男性性」についてキーワードとして挙げる論文は1つだけで、トピになったこともない。

2021-02-23 12:35:45
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なぜ女性は自らを晒して女性について語るのか。男性はなぜ男性について語らないのか。この二つの疑問は、フェミニズムにおいて繰り返し指摘されてきた、もはや典型的な一つの答えに行き着いてしまう。  それは、男性が無視されているのではなく、むしろ男性主体の世界に生きているから語る必要がなく

2021-02-23 12:40:10
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非主体である女性は女性について語り続けなければならない、自らの感覚を頼りに、ということである。 p.175 織田(1988)は、家父長制的価値観の枠組みにおいては、男であることが人間であることであり、女であることは人間の正常体からみて「逸脱」とみなされてきたことを文学の面から指摘している。

2021-02-23 12:44:37
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「鶴の恩返し」「うぐいす姫」「羽衣」に見られるように、女は「人間以上」あるいは「人間以下」の存在であると織田は指摘する。加えて、男性の体験は文化のうちに構造化されているので、女性にとっても可視化されているが、女固有の体験は支配的文化の内側で不可視化され、見えないものだという。

2021-02-23 12:48:14
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家父長制的価値観の枠組みの一つに精神分析が含まれていることは明らかであろう。  「どうしてこんなに多くの現代女性アーティストは、これほどまでにセルフ・ポートレイトに魅せられるのか」という笠原美智子の論考は、多くの示唆を与えてくれる。 男性中心の写真界の中で、男の眼で世界を見ることを

2021-02-23 12:53:05
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学び、そうした中で感じる自分との違和感がセルフ・ポートレイトという自分の姿を写真に撮り続けるという手法を選択することになるのだと考えている。それは、男性の作った枠組みにおいて制作し、評価される限りは、例外的で異端の存在なのであり、彼女たちが目指しているのは、そうしたあり方自体を

2021-02-23 12:57:00
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問い直すことである。  〈この時代とこの場所に生まれていなければこの表現手段を採らなかったろうし、また男だったら自分の体験を土台にするような作品をつくらなかったでしょう〉(シンディ・シャーマン)   p.176 新田は、フェミニズムには女を子産み道具とし、生殖義務を押しつけてくる社会通念に

2021-02-23 13:03:19
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抵抗しつつも、男には真似できない妊娠や出産の経験から、女性の独自性と理想の社会像を打ち立てる意思が受け継がれてきたと述べる。「生殖や子育てに対する自負と抵抗の入り混じったアンビヴァレンス」(新田2020)という女性側の問題は、日本の精神分析における、なぜ女性治療者の妊娠に関する論文数が

2021-02-23 13:09:31
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多いのかという疑問に、もうひとつの答えの可能性を示してくれるものではないだろうか。 p.177 日本の精神分析に横たわるもう一つの問題は、母親以外の女性性についてほとんど語られていないということである。日本の精神分析で語られてきた女性論の多くは母親としての側面の重視、あるいは妊娠出産

2021-02-23 13:13:19
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といった母になることに力点が置かれたものである。母親であること、あるいは母親になること以外にも存在している女性の豊かな側面について言及されたものを日本の精神分析の中に見つけ出すことは難しい。  日本の精神分析におけるこうした状況は、やはり戦争の影響を考えないわけにはいかない。

2021-02-23 13:17:31
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母親を重視することは全体主義国家の特徴であり、日本でも戦火が激しくなる中で、母になること、母であることはさまざまな政策を通して奨励された。 p.179 私たちが女性について語る時、誰の目でものをみて、考えているのか、自分に問い続ける必要がある。私たちを珍しがるのは誰なのか。

2021-02-23 13:24:29
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私たちを知らないというのは誰なのか。私たちはそうした欲望に乗せられているのか。それとも私たちが彼らを誘惑しているのか。そこで生成される/する物語は誰のものなのか。 #100分de名著 ファノン第4回 twitter.com/chokusenhikaem…

2021-02-23 13:34:07
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彼には友人があるだろうか。彼は孤独ではないのか。市電やトロリーバスの中の彼らは無意識な存在に、根拠のない存在に見えないだろうか。彼らはどこからやって来たのか。どこへ行くのか。人々は彼らを見ない。  多くのフランス人は北アフリカ人を見ない。ファノンは彼らの苦しみを内側から感じている

2021-02-10 00:13:55
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(第3節、日本の女性論…阿闍世コンプレックスの変遷は 割愛) 第4節、日本の精神分析における母親  母性中心主義は、2000年代に入ると、日本の精神分析界隈でも女性の治療者を中心に批判の声が挙がるようになる。  「母性再考」は2003年に『精神分析研究』誌上で特集として掲載された。

2021-02-23 23:52:19
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これは『精神分析研究』誌上において女性に焦点を当てた初めての特集であった。 b. 母性は本能か  平島奈々津子は、明確に母性は本能ではなく、心理的なものだと位置づけ、特にそこで母親だけに養育者としての責任を担わせていることに批判を向ける。  上別府圭子は、「〈母性〉否、母親を理想化

2021-02-23 23:52:19
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する傾向は、殊に男性の専門的リーダーの間で根強い」と非難し、小此木啓吾の「まことの母」というのは、男性のわがまま勝手をゆるし、自己主張や嫉妬、怨み、怒りの感情を押し殺すマゾヒズム的な母(=妻)という意味を含むものだと批判した。上別府はそうした文脈から、小此木が阿闍世コンプレックスに

2021-02-23 23:52:20
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良い母親、すなわち許す母親という理想化を加え、それを「まことの母」と考えたことに疑問を呈している。  上別府は、「母性」は母親にのみ依存すべきものではなく、子どもや父親や環境全体で創り上げ担うものであることも知っていなければならないと述べている。

2021-02-23 23:52:20
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上別府は、母性は人々の理想化あるいは幻想の集合としては認めるが、「母性」を現実の母親と結びつけることは誤りである、という立場を明確に取っている。

2021-02-23 23:52:20
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p.171 母親の役割の重要性を強調することが、母親たちを縛り、母親たちを苦しめていた弊害についても、私たちは目を向ける必要がある。母親たちを不自由にすることは精神分析の目的ではないはずだからである。

2021-02-23 23:52:21