黒将軍の岡山北部方面訪問記録。
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黒将軍 @ytinbk

プラモ探しのついでに津山高野本郷、高野神社を参拝。 院庄の方にも高野神社があり、いずれかが延喜式内社とされている。  #岡山の神社 pic.twitter.com/IqdPYA6szz

2021-04-11 20:08:33
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高野神社拝殿及び本殿。 本殿は中山造。 狛犬は何という形式だったか、なんとも素朴な造り。  #岡山の神社 pic.twitter.com/72jvrbRpca

2021-04-11 20:15:47
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高野神社舞台。 美作地方はかつて農村歌舞伎が盛んで、今でも各地で興行が行われていたり、歌舞伎舞台が残っているらしいが、これもその一つであろうか。  #岡山の神社 pic.twitter.com/LF5xnARG64

2021-04-11 20:20:58
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高野神社隣に永案寺という寺があった。 境内を接しているが入り口はえらく離れている。 元神宮寺かもしれないが、特に説明書きも無く、無関係の寺かもしれない。  #岡山の寺 pic.twitter.com/pc3GuaCoFg

2021-04-11 20:30:02
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木山神社に参拝。 木山神社は平安時代創建の神仏習合の神社で、寺部分の木山寺と元の神社部分の奥宮、現在の主要部分の里宮に分れる。 里宮は昭和に入ってから整備された場所で、新しい神社らしく境内は開放感がある。  #岡山の神社 pic.twitter.com/wzfHMDnin4

2020-06-23 21:52:02
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木山神社奥宮。 尾根筋を上るように参道があり、山頂に社殿がある。 天正八年(1580年)の建築で、普通の神社社殿の倍ほどあるような大きな建物。 中山神社も大きかったが、戦国期には社殿を大きく作る流行でもあったのだろうか。  #岡山の神社 pic.twitter.com/AxByRplRA0

2020-06-23 22:03:45
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木山寺。 神仏分離令で別れた木山神社の寺部分だが、牛頭天王と稲荷を祀り、境内に鳥居が立ち並ぶなど、極めて神社色の濃い寺となっている。  #岡山の寺 pic.twitter.com/xUXRyKwhWP

2020-06-23 22:11:06
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木山寺観音堂(鎮守殿)。 どう見ても神社です本当にあり(ry 明治18年の建築で、グロテスクなまでに彫りの濃い彫刻がびっしりと全体を覆っている。  #岡山の寺 pic.twitter.com/Ozl585nJcc

2020-06-23 22:19:19
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木山神社(里宮)絵馬堂は面白い絵馬が多く、ちょっとした美術館のよう。 目を引いたのが、大阪で遭った大火を免れた商家が、難を逃れたのは木山神社のおかげと、その様を描いて奉納したもの。 珍しい洋画風の絵馬もいくつか見られた。  #岡山の神社 pic.twitter.com/iHTbkXcxwQ

2020-06-23 22:27:24
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場所柄か、後醍醐天皇が「天莫空勾践…」の書付を見る場面を描いたものがあった。 右端の貴人が後醍醐だろうが、他は不明。  #太平記 pic.twitter.com/i1QERgJZWE

2020-06-23 22:32:40
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恐らく、劉関張三義兄弟を描いたもの。  #三国志 pic.twitter.com/SWPLeB8DCa

2020-06-23 22:35:17
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武者絵。いずれも画題不明。 1枚目のは桜井の別れっぽいが、確証はない。 pic.twitter.com/NxSDeNOoIn

2020-06-23 22:38:55
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動物関係。 鳥のはく製はちょっとグロいので、修理するなり下ろして他所に保管するなりしたほうが… 鹿の頭蓋に残る毛も生々しい。 pic.twitter.com/ygxAGKGfMx

2020-06-23 22:42:43
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県境移動の制限が解除になったということで、早速岡山は醍醐桜を見てきた。葉桜だが。 醍醐桜は、元弘の乱に敗れた後醍醐天皇が隠岐に配流される途上で立ち寄ったことからその名があるという。  #岡山の名所   #太平記 pic.twitter.com/fyOxDODG7w

2020-06-21 22:10:18
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醍醐桜に行く道を大勢坂といい、流されていく後醍醐天皇を大勢の人が見送ったという。 …大勢の人が集まるとまずいのでは…?  #太平記 pic.twitter.com/4T8pPHerdf

2020-06-21 22:13:54
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醍醐桜の山を下り、国道181号を北上すると宇南寺がある。 この寺に後醍醐天皇が逗留し、その有様を見た住職が天下太平を祈願したことから本堂を太平堂という。 どうも太平記からの後付けっぽいが。 本堂は永正7年(1510)の棟札を残す中世建築。  #岡山の寺   #太平記 pic.twitter.com/vDpEPrfsQM

2020-06-21 22:33:06
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勝山の町にある、化生寺という寺を訪ねてみた。 ここには、大妖怪・白面金毛九尾の狐が退治された後石に転じた那須の殺生石の破片が飛来したという伝説があり、石を打ち砕いた玄翁和尚の開基になるという。 本堂前に石を封じたという塚があるが、寺自体は新しく感じる。  #岡山の寺 pic.twitter.com/6uPk2mbpOH

2019-08-10 21:44:19
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化生寺鎮守・玉雲宮。 玉雲大権現は九尾の狐のようだ。 天竺で生まれ、中国に渡り妲己・褒姒に化身して世を乱した狐は、平安時代の日本に、玉藻の前なる女官に化身して天皇に近付いた。 しかし、陰陽師・安倍泰成によって正体がバレ、その身を殺生石に変えたのであった。  #岡山の神社 pic.twitter.com/G93iTx8BUL

2019-08-10 21:54:40
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唐突にこの地に殺生石の伝説があるのは、殺生石が全国の「高田」という地に飛び散ったとされるから(勝山はかつて高田と呼ばれていた)という理由付けがされているが、どうも私には他に理由がありそうに思える。

2019-08-10 22:04:12
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勝山からだいぶ下るが、吉備中央の円城寺には呪いの社である提婆宮があり、その眷属は狐であった。 また、児島半島の熊野神社に祀られる八尾羅宮も、八尾の狐を祭神とするものであった。 想像するに、岡山一帯に狐を祀る民間信仰があり、殺生石伝説はその理由付けではなかったか。 pic.twitter.com/we9pfXRkip

2019-08-10 22:14:17
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化生寺の隣に妙円寺があった。 裏山にあった高田城主・三浦貞宗の援助で建てられた寺で、建物は江戸時代。 大仏殿を思わせる重層の本堂と、中山造の番神堂は、いずれも真庭市の指定文化財になっている。  #岡山の寺 pic.twitter.com/zzhQfLZ9Te

2019-08-10 22:23:19
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次いで旧遷喬尋常小学校を訪問。 この校舎は明治40年建造の疑洋風建築で、なんと平成2年まで現役だったというから驚きである。 そのせいか、ふと子供たちが物陰から顔を覗かせてくるかのような、静かな怖さがあった。 pic.twitter.com/8LfsheDY7u

2019-08-10 22:31:44
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津山で神社巡り。 鶴山八幡宮は元々津山城のある鶴山にあり、津山城築城に伴って現地に移されたという。 pic.twitter.com/6UIt4F84TC

2016-02-07 22:40:17
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高野神社。 美作二宮の格式を持つ古社。 随身門、随身像、狛犬は平安時代のものとか、門前にかつてあった宇那提森は万葉集にも歌われるとか、とにかく古い。 pic.twitter.com/xu2hj6DL5K

2016-02-07 22:49:24
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鶴山八幡宮、高野神社の本殿はともに中山造というこの地方独自の建築様式を持つ。 これは美作一宮中山神社本殿を本歌とするもので、入母屋造妻入に唐様の向拝が付く。 なんかどこにでもありそうな感じだが、そういうものらしい。 pic.twitter.com/0Ws5YOKEDW

2016-02-08 00:04:19
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鶴山八幡宮、高野神社では中山鳥居という独特な形状の鳥居も見られた。 これもやはり中山神社を本歌とするもので、貫が貫通していないのが特徴。 なぜこの地域に独自の社殿や鳥居が発生したのか、気になるところ。 pic.twitter.com/Q3u0NoI2z0

2016-02-08 00:20:10
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津山南部、誕生寺を参拝。 ここは浄土宗開祖、法然上人出生の地。 pic.twitter.com/DXrNh2W0BP

2014-06-30 16:13:38
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法然両親の住居だったこの地を寺に改めたのは蓮生房こと熊谷直実。 平家物語に語られる平敦盛との悲劇や領地問題で武士に嫌気が差していた彼は法然に弟子入りし、間もなくして誕生寺を開いた。 但し、建物は何れも江戸時代以降のもの。 pic.twitter.com/nMXEpQ4HVC

2014-06-30 16:31:23
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境内は出入り自由だが宝物殿と方丈は有料。 方丈には幕末の狩野派、狩野義信の襖絵がある。 庭園もいい感じ。 #誕生寺  pic.twitter.com/z4Z0M3bLXg

2014-06-30 16:44:30
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逆さ大銀杏。法然の刺した杖が成長したという伝説の木。 これを含め、誕生寺には七不思議がある。 pic.twitter.com/nwJO4jDIGb

2014-06-30 17:00:20
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境内には大仏。 新しめの印象だが江戸時代、1745年の建立。 新しく見えるのは台座のせいか?  #誕生寺  pic.twitter.com/Ylr12BOB8v

2014-06-30 16:54:59
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本堂裏手にある勢至堂は法然両親の廟所。 法然の父、漆間時国は法然幼少の頃に闇討に遭い、不慮の死を遂げた。 この出来事が法然に僧への道を歩ませる切欠となった。  #誕生寺  pic.twitter.com/efIb4jgpU8

2014-06-30 17:08:13
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勢至堂の傍らにあるのは津山藩主森忠政の養母、大野木殿と忠政長男、重政の墓。 忠政は森蘭丸や森長可の末弟、大野木殿は柴田勝家の娘で原田直政の妻。 重政は庶子だったために相続が認められなかった。  #誕生寺  pic.twitter.com/qw1W4cpkJt

2014-06-30 17:28:23
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津山まで水樹奈々ライブの払い戻しに行った帰りに那岐山中の菩提寺へ。 菩提寺は浄土宗開祖法然が幼い頃修行したという由緒ある寺だが、戦乱などで荒廃し、かつての隆盛を偲ぶものは何もない。 pic.twitter.com/ospH1FFHKD

2014-07-05 22:51:30
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菩提寺本堂。 荒れ寺状態だった本堂は近年修復の手が入り、木材の香りが芳しい。 蟇股にはなぜか麒麟の彫刻がある。 pic.twitter.com/cziwj7iwz4

2014-07-05 23:01:06
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菩提寺で唯一と言っていい見所はこの大公孫樹。 誕生寺の逆さ公孫樹同様、法然の刺した杖が成長したものという。 法然はどれだけ杖を成長させれば気が済むのか… pic.twitter.com/A0PIVomL2y

2014-07-05 23:05:55
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ついでに因美国境付近にある三穂神社を参詣。 R53号沿いに立つ門前の銅像がずっと気になっていた。 pic.twitter.com/u4bOMT0OuV

2014-05-11 18:10:27
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銅像の名は菅原満佐。鎌倉時代の武将で管原道真の子孫。 又の名を三穂太郎と称し、美作~京都間を三歩で歩く大巨人だったとか。 …進撃の巨人ってレベルじゃねえ… pic.twitter.com/uXqTAFpzj2

2014-05-11 18:25:40
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三穂神社の祭神は事代主命。菅原氏関係なのに天満宮じゃないのか。 他に菅原満佐の頭を祀る。 満佐は赤松氏と戦い佐用で戦死、頭だけがここに葬られたという。 ウルトラマン以上の大巨人の頭か… pic.twitter.com/ClXPqLpV0j

2014-05-11 18:38:05
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三穂太郎は別伝では嫉妬に狂った佐用姫に金の針で刺されて五体バラバラになり、頭は三穂神社、胴体は杉神社、右手は右手神社、左手と両足は国境を越えて因幡の河野神社に落ち、それぞれ祀られたという。 pic.twitter.com/IbjJvDj1Ma

2014-05-11 19:08:34
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その河野神社では伝説に由来してか手形足形を奉納する習慣があり、 三穂神社には拝殿に「頭」の字をびっしり書き並べた紙が大量に貼り付けてあった。 それぞれは民間信仰ではよく見られるものだが、一つの伝説から派生しているというのが興味深い。

2014-05-11 19:14:20
黒将軍 @ytinbk

この伝説って、 事代主命=出雲美保神社→三穂神社→菅原三穂太郎満佐→三歩 →美作京都間を三歩で歩く巨人三穂太郎の登場。 という言葉遊びで生まれたのだろうな。 昔話って結構そういうの多いけど。

2014-05-11 19:21:25
黒将軍 @ytinbk

農村歌舞伎舞台を求めて美作地方へ。 まずは奈義の松神神社。 境内に歌舞伎舞台がある他は何の変哲もない神社。 割と珍しい神明造の本殿、折り畳み式の渡り廊下、門前の池あたりが見どころか。  #岡山の神社 pic.twitter.com/WIPwE8NVxv

2022-08-22 21:13:29
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松神神社歌舞伎舞台。 この辺りは横仙歌舞伎なる伝統芸能が伝わっており、ここはその舞台となる。 舞台は閉じており内部は確認できないが、外部から花道の台や奈落への出入り口が、隙間から回り舞台の線が確認できた。  #農村歌舞伎舞台 pic.twitter.com/d2QSAYMfp3

2022-08-22 21:19:57
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舞台に向かい合って謎の鉄組があった。 恐らく興業の際に幕を張るためのものであろうか。 また、松神館なる建物があったが、これは歌舞伎の伝承館らしい。  #農村歌舞伎舞台 pic.twitter.com/OAV3tfnGzE

2022-08-22 21:24:27
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続いては津山市田熊八幡神社。 ここは由来が古く、津山藩主森氏が社殿を修復した記録があるらしいがまあ普通の神社。 それより境内が小高い山の上にあり、参道がえらい急坂なので参拝の際は注意が必要だ。  #岡山の神社 pic.twitter.com/w5lNQNtN6M

2022-08-22 21:32:01
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田熊八幡神社舞台。 国重要民俗文化財。 ここは開いており、回り舞台や舞台袖などのセットが見学できた。 天井にピアノ線のようなものが敷いてあったが、緞帳か、あるいは舞台装置を反対側へ送るための仕組みだろうか。  #農村歌舞伎舞台 pic.twitter.com/i0xj3iICoT

2022-08-22 21:40:37
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田熊八幡神舞台背面及び内部。 舞台は境内から一段低く作られており、舞台下はいわゆる奈落として、回り舞台の回転装置や資材置き場があった。 先の松神神社の舞台も恐らく同様の構造であろう。 地形上懸造的な構造かと思いきや柱の数が少なく、上で踏み抜かないか心配だった… #農村歌舞伎舞台 pic.twitter.com/KUgv7Fnw87

2022-08-22 21:55:09
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田熊八幡神社舞台の背面は大きく開口しており、那岐山系を借景とし、また奈義町方面を広く展望できる見晴らし台となっている。 が、ちょっと木が邪魔。 切らんのかな…  #農村歌舞伎舞台 pic.twitter.com/b8Vm4wMcda

2022-08-22 22:00:07
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最後に訪れたのは美作市の春日座。 農村歌舞伎舞台として紹介されるが建物は新しく、演芸会館風に建て直されている模様。 以前「家族に乾杯」で市村正親氏が訪れた場所で、氏はどうもオープンセット型の舞台を期待していたようで、これを見て面食らっていた様子だった。  #農村歌舞伎舞台 pic.twitter.com/yrrvOg1blB

2022-08-22 22:06:43
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まとめたひと
黒将軍 @ytinbk

黒将軍だ。 歴史探訪とSDガンダムに情熱を注ぐ者だ。 作成品、探訪記録をmin.t ↓ にまとめました。 (モーメント廃止に伴い移行。)